2006年2月14日火曜日

大阪城跡発掘調査現地説明会のご案内

いつもお世話になっている大阪コンベンション協会大阪城天守閣チームのAさんから明日、開催される大阪城跡発掘調査現地説明会の案内を頂いたので紹介させて頂きます。ご都合のつく方はぜひどうぞ。(詳細は下記“続きを読む”をクリック)


 ただ一言。・・・休みの日にやってくれ!(^_^;)


・写真:2006,01,21撮影 *クリックで拡大


 大阪市教育委員会と(財)大阪市文化財協会は、平成18年1月初めから大阪城公園内(大阪市中央区大阪城)で実施してきた発掘調査の成果を市民に広く紹介するため、平成18年2月15日(水)午後1時30分より発掘調査の現地公開および説明会を開催し、現地説明会では、今回の発掘調査で新たに確認した遺構や出土品を一般公開します。

 今回の発掘調査は、大阪城天守閣の北側に位置する山里出枡形(やまざとでますがた)と呼ばれる場所で行われた石垣の保存修理に合わせて実施しており、その発掘調査の結果、裏込(うらごめ)と呼ばれる石垣の背面の状態や、現在では地中に埋もれてしまっていた階段、排水の目的で構築された会所(かいしょ)を確認することができました。
 このうち階段は、寛永7(1631)年以前に描かれたと考えられる絵図「大坂城普請丁場割之圖(おおさかじょうぶしんちょうばわりのず)」や、寛文5(1665)年以前の「大坂御城圖(おおさかおしろず)」にも描かれているもので、徳川築城時のものと考えられます。
 また、この階段は焼土を含む盛土によって埋まっていましたが、盛土からは徳川家の家紋である三葉葵の瓦が出土しました。会所は絵図には描かれておらず、今回新たに確認した遺構です。会所は一辺約1.6mと約1.2mの花こう岩を組み合わせたもので、上面には会所の内側へ水を流し込むための溝が切られていました。会所の内部には天井石と床石、側石で組まれた暗渠が確認されました。
 国指定特別史跡大坂城跡にあたる大阪城の石垣については、昭和29年から補修の必要な部分の保存修理事業を順次実施しています。
 大阪城公園の敷地は、豊臣秀吉の築いた大坂城が大阪の陣により焼失したあと、江戸時代初め(1620~1629年)に再建された徳川大坂城の跡地に当たります。その後の火災によって、江戸時代の天守などは失われましたが、大手門や千貫櫓(せんがんやぐら)などの建物や堀とともに、石垣は江戸時代の様子を現在に伝える貴重な文化財であり、その保存修理や整備にあたって、今回の調査の成果を役立てたいと考えています。

                 記

日  時:平成18年2月15日(水)
     午後1時30分~午後3時30分まで  ※小雨決行
場  所:大阪城公園内 山里出桝形前
     大阪市中央区大阪城 大阪城天守閣北側
     (裏面の地図を参照して下さい。)
問合せ先:財団法人 大阪市文化財協会難波宮調査事務所
       TEL. 06-6943-6836
          (以上、大阪市教育委員会プレスリリースより